2009.4月の先週のハイライト

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09.04.01

先週末は、中頓別に行ってきました。
マチオコシの一端を担うためのフォーラムに参加するためです。
《移住者の家を地域で建てる仕組みを創造する》というフォーラムに、
『移住者を迎えるための魅力ある北の家づくり』というタイトルで、
1時間あまりの講演をしてきました。

札幌から300kmを北進するのですが、
行程の3/4が高速道路を利用できるので4時間で着いてしまう、という、
北海道ならではの道路事情です。
士別・名寄間の道路が開通すれば、まだ、30分ほど短縮されそうです。

前日の27日の夕方に到着し、木材の製材工場や
中頓別町の案内をしていただき、
移住希望者の歓迎交流会に同席させていただきました。
大阪からいらしたHさん家族を囲んで、
T牧場チーズ工房のチーズフォンデュが、メインディッシュでした。
中頓別でチーズフォンデュをご馳走になるとは夢にも思いませんでしたが、
考えてみれば、この料理は、スイスの山の中の郷土料理なので、
酪農の町・中頓別でチーズフォンデュは、
ミスマッチでもなんでもないはずですが、
《田舎料理》を勝手に決め付けていたのかも知れません。

大阪から来たHさん家族のお話も、《目から鱗》の話の連続でした。
住んでいる人達には《百害あって一利なし》の雪が、
何よりの宝物に感じられ、
大阪では体育の授業も儘ならない長女のSちゃんが、
スノーシューを履いて1日中歩き回り、
そり遊びで転げまわっていたそうです。
その輝く笑顔を見て、ご両親も感激したそうです。
歩いていても、天然林に入ったとたん、木々のパワーを感じ、
森のエネルギーを吸収しているような感覚になったそうです。
そんな話を聞きながら、
35年前に北海道に来た時のことを懐かしく思い出しました。
確かに、あの頃は、何を見ても、何を聞いても、どこへ行っても、
感激の連続でした。
水を落としていても水道が凍結し、雪を溶かしてお湯を沸かし、
日の出の頃にヤット水道が『ゴボ・ゴボ』と音を立てた時の感動は
忘れられません。
ニセコの山中で車が雪に埋まり、ヤット押し出せ走り出した時に友人が
『熊が出るかと、ひやひやしてた』と言われ、ゾッとしたこともありました。
窓ガラスの氷華が朝日に照らされキラキラと輝いた美しさは、
今の高性能住宅には望めません。
そういえば、Hさん達も、大きなツララに感激していました。
美味しい料理と美味しい話で心身とも満腹になり、
宿舎のピンネシリ温泉に浸かり、ぐっすり眠りました。

一夜明けて、午前中は役場で中頓別の情報を教えてもらい、
午後のフォーラムの内容・進行の確認をしました。
今日のもう一人である講師の道庁のOさんも到着し、
久しぶり(同じ札幌にいるのに・・・)にお会いし、近況報告を聞きましたが、
相変わらず《北海道の営業マン》として全国を飛び回っているようで、
心強いかぎりです。

20人ほどの参加者が集まり、フォーラムがはじまりました。
始めは『加古川流域森林資源活用検討協議会の取組について』と題して、
町職員のKさん方の視察報告がありました。
『地産・地消』をテーマに《立木販売システム》を立上げ、
森林所有者と消費者を直結する目的にした
NPO法人の活動視察報告です。
登録した設計事務所・施行会社の協力により、
良質の資源を使って良質の住宅を建てることが目的だと思いますが、
《自分の住む家を、山に行って自分で選んだ木材で建てる》という、
参加する意識が消費者の魅力になり、生産者にとっても
消費者の顔が見える、という励みに繋がるような気がします。
昨日見せて頂いた製材工場の会長さんが
『北海道にはたくさん木があるのに、なんで、燃料を使って
外国の木をもってきて家を建てるんだか、よう判らん』
と言っていたことを思い出しました。
意外と身近に、出来ることがあることを思い知らされたような気がしました。
次は『北海道が推奨する北方型住宅について』と題して、
道庁のOさんが《北方型住宅》の意義と内容を、
実例を示しながら判り易く解説してくれました。
参加者の興味を一番引いたのは、Q値の説明でしょうか?
『以前の住宅は、壁に新聞紙を開いた位の穴が開いていたので、
いくら暖房を焚いても暖かくなりませんでしたが、
Q値を1にすれば葉書大、今進めている推奨値の
0.5にすれば名刺大になるのです』
という説明に、ほぼ全員、無言で頷いていたようです。
新しい北方型住宅は、単に数値による規制ではなく、
工事の記録(家暦:カレキ)を正確に共有・保存することにより、
性能基準を確保し、次世代に継承することにより不動産価値を高める、
ということにあるようです。

いよいよ、アルクムの番が回ってきました。
アカデミックな講義の後だけに緊張しましたが、
今更、アカデミックには出来ないので、
いつものように、スライドを見てもらいながら、
取り留めのない話をしました。
それでも今回は、前半・後半の二部構成にして、
少しはメリハリを付けようと努力しましたが、
効果があったかどうかは定かではありません。


第一部は『懐かしさの復権』という題を付けて、
アルクムの設計の雰囲気を伝えようと試みました。
15年前に設計した美瑛の薫風舎の縁(つながり)で
設計を依頼された建物に共通するテーマとして
《懐かしさ》を取り上げ、《べんり》と引換えに失った
現代の喪失感について話しました。
第二部は『故郷の再構築』という題で、
今回の《移住者を迎えるための魅力ある北の家づくり》に即して、
実際の移住する方たちのための住宅を紹介しながら、
その背景にあるテーマを《ふるさと創り》に絞って話をしました。
今までのふるさととは、生まれた時に決められていましたが、
これからは、家族関係も含め、新たにふるさとを見つけ、
創り出していく時代になってきたような気がします。
北海道にはその可能性と魅力が、マダマダあるし、
外から来た人のほうがそれを見出しやすいのでは?
という問いかけをしたのです。
足元に転がっている石を見つけ磨くほうが、
お金やエネルギーを消費して既成の宝石を求めるよりも、
はるかに現代的な方法ではありませんか?
その主旨が伝わったかどうかはココロモトありませんが、
時間をかけて伝えていきたいと思っています。

最後に、参加者全員が自己紹介をしながら、フォーラムの感想と、
これからのプロジェクトに対する期待と抱負を語っていただきました。
昨日交流会でお会いした移住希望のHさんが
「ぜひとも中頓別に住みたいので、その節にはヨロシク!」
というような話をしたところ、スカサズ「決めるのが早すぎるのでは?」
という指摘(?)があり、緊張した空気が流れましたが、最後には、
「そんなに、この町を気に入ってもらい、有難いです」
という言葉でフォーラムを締め括ることができました。



09.04.13

先月の3月29日(日)に生活介護施設《きらり》の落成式がありました。


昨年の秋から相談に乗り、工事は今年になってから開始し、
予定通り完成し、諸検査を終了し引渡しの後、
引越しやスタッフの研修をして、お披露目です。

今回は、ビルの1フロアーの改修でしたが、
4年前に別の形で設計のお手伝いをしていました。
そのときは新築の計画だったので、運営スタッフと設計スタッフが
チームになって、隔週で勉強会を開き、いろいろな施設の見学などを
しながら設計を進め、基本設計と概算見積りを出そう、
というところで厚生省の介護点数の減額により、
事業計画の見直しを迫られ、計画を断念したのです。

その時にはみんな、とてもつらい思いでしたが
『完成後でなくてよかった』と諦めるより仕方ありませんでした。
でも、その時のリーダー格だったI女史が、
『私は諦めませんから、その時には、また、よろしくお願いします』
と力強く言われ、4年後に実現したわけです。
まさにI女史の執念の賜物だと思います。



今回は、北海道の助成金のこともあり設計期間は
かなり限定されていましたが、4年前の勉強会で培った予備知識と、
なによりも、I女史のフットワークと厚い信頼関係が、
短い設計期間に大いに役立ったことはいうまでもありません。

新築でなく改築だったことも、短期間の設計にプラスに働いたように思います。
なにしろ、実物大の模型があるわけですから、現地での打合も、
かなり現実味がありました。そして、今回の建物のロケーションが
最高だったのも、特筆ものでした。羊ヶ丘の入り口にあるビルの2階なので、
藻岩山、遠くにモエレ・石狩浜、札幌の市街地、そして羊ヶ丘を
眼下に一望する、札幌市の展望台のような場所なのです。
最初に現地を見に行った時には、焼肉レストランの良い匂いが
残っていて心配したのですが・・・。
新緑の緑の壁が、今から楽しみです。

工事が始まってからも、部屋の仕切り方、浴室・トイレの使い方、
介護時のベンチの高さなど、工事関係者を総動員しての確認作業が続きました。

落成式のときのI女史の挨拶を聞きながら、
4年前のことを走馬灯のように思い浮かべながら、
『ヤッパリ、このカタチで良かったんだ』と、改めて思いましたが、
I女史にとっては、そんな簡単な思いではないだろうな、
とシミジミとした気持ちになりました。

『本当に、オメデトウございます、そして、これからもヨロシク、Bon Voyage!』


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