2004.10月の先週のハイライト


04.10.13.

2週間のご無沙汰です。
このところ、このコーナーが現場の報告に偏りすぎ、
自分で読んでもあまり面白くなくなっていました。
プロジェクトのコーナーと変らなくなっていたのです。
そんなことを考えていたら、筆が(パソコンだから、指が?)
動かなくなっていました。
暑かった夏が過ぎ、台風に気を取られているうちに、
吹き飛ばされたはずの木の葉が色づいているのに気がつきました。

設計という仕事をしていると、いろいろな土地で、
いろいろな人と、いろいろな考え方とめぐり合います。
とくに、住宅の設計は、その家族のライフスタイルを創り出すことが、
重要な仕事でもありますので、気が抜けません。(本当の話!)

でも、あまりこちらが気を入れすぎても、
相手が引いてしまう事もあるので、難しいのです。
《お洒落な普段着の家》をつくるには、
お互いにリラックスするのが一番なのですが、
まずは、こちらがリラックスしなければならないのですが、
これが、なかなか難しい。
歳をとれば、自然に出来ると思っていましたが、
そうは問屋が卸しません。
歳をとると、一層、気が短くなることに気が付きました。

そんな時に、蘭越のIさんのホームページ
Con-ton House
の家づくりのページ(5/27)を見直し、力をもらいました。
深呼吸でもして、出直すことにしますので、
来週の《先週のハイライト》に、ご期待下さい。


04.10.20.

東北に行ってきました。
10年前までの10年間は、月2回のペースで行っていたのに、
仕事が無くなった途端、10年ぶりの東北でした。
仕事としては、H学園で使う外壁材の製品検査をするために、
秋田の防腐工場に行くのが目的だったのですが、
久しぶりの東北なので、仙台まで足を伸ばし、
仙台メディアパーク(設計・伊東豊雄)を見に行ったのです。

苫小牧発のフェリーで朝9時に仙台着。
早稲田の同期で、仙台で服の生地屋の社長をやっている
異色の友人M君に案内を乞い、積もる話しもそこそこに、
早速、見学に向かいました。
《杜の都》とはよく言ったもので、街の中心でも、
街路樹は大きく育ち、よく手入れがなされ、緑に囲まれ、
なによりも、市民に愛されているのが伝わってくるのです。
10年後にできる予定の地下鉄の建設から、
駅前の青葉通りの大木を守るために、市民が中心になって、
いまから、移植がいいか、その時の為に育てておくか、
相談しているそうです。
建設に、《『反対か』『賛成か』ではない議論》ができることに、
北大の《ポプラ論争》を思い出し、『大人だなー』と感じました。

『この定禅寺通りも、夏はいろんなイベントで賑やかだし、
冬になるとイルミネーションできれいになるんだよ』
と、自分の庭のように、目を細めて自慢しているM君を、
羨ましく思っているうちに、大きな木の幹の間から、
目的の建物が見えてきました。

伊東豊雄も、この幹を通して、建物の構想を練っていたことが
手に採るように解かりました。
『この空気を壊すような建物を建ててはいけない』
と思ったに違いありません。
『そう、建物を建ててはいけない。それでは、建物って、何?』
そう考え、建物を解体し、まず、柱と梁を無くし、
さらには、壁も取り払ったのでしょう。
そんな、熱い思いをよそに、ここに集う人たちは、それぞれ、
建築と時間から開放され、まるで森の中にいるような、
《爽やかな》《ユッタリした》環境の中に漂っているようでした。




↑仙台メディアアークphot

この建物の、もうひとつの物語は、工事のやり方にあるのです。
この建物は鉄骨でできています。
普通の建物ですと、鉄鋼所で骨組をつくるのですが、
この建物は、規格の鋼材を使わず、柱も一本一本角度が違い、
現場で継ぎはいで溶接して作るような構造になっているのです。
それで考えられたのが、造船技術の導入でした。
幸い、近郊の気仙沼一帯には、造船工場がたくさんあり、
優秀な溶接技術者には恵まれた環境でした。

その技術者集団が、よい仕事を残そうと技術を競い合いました。
そんな人間的な手仕事に支えられて、
世界でも、最も新しい考え方の建物が出来あがったのです。
その名残りが、溶接のすみずみに見て取れます。
溶接の跡が、ひとつひとつ違い、柔らかな味を出しているのです。
その時何故か、15年ほど前に《なら・シルクロード博》で見た、
月面移動車を思い浮かべました。
世界の最先端技術の粋を集めた《モデルカー》が、
なんと、うち捨てられた《大八車》に見えたのです。
人類の進歩は、案外、そんな形をしているのかもしれません。

久しぶりに、力を持った建築を見て、心地良い満足感に包まれ、
すこし、陶酔状態におちいり、建築の魅力を再確認しましたが、
ひょっとしてそれは、フェリーの後遺症だったのかもしれません。


あとは東北自動車道を北上して秋田に向かい製品検査をしました。
防腐工場というので、工場地帯の一角、生産していると思ったら、
なんと、田圃の真ん中の工場で、のどかにやっているので、
なんとなく、嬉しくなりました。
こういうところで作る防腐材は,きっと安全だろうと、感じました。


↑防腐工場phot

仕事を終え,田沢湖高原のホテルでゆっくり温泉につかり,
角館の地酒《秀吉》と岩魚で、久しぶりの東北を満喫しました。




次の日は,ユックリと北上し,八幡平・十和田湖を通り、
途中、玉川・後生掛温泉を視察(もちろん、温泉には入らず)し、
八甲田に向かい,12年前に設計した猿倉温泉に行きました。
小笠原夫妻と会い,夕方の忙しい時間に訪れたにもかかわらず,
昔話に花を咲かせました。


↑猿倉温泉(設計:アルクム)

十年一昔、と言いますが、本当に、アッという間と言う感じです。
猿倉温泉の湯は、本当によい温泉です。(今でも湯香が残ってます)
旅の疲れを全て流してくれました。

八戸から、その日のフェリーで苫小牧に朝6時に帰り、
月寒のH学園の現場に戻り、朝日のあたるトップライトを見て、
一泊三日の東北・出張旅行を終わりました。


04.10.28.

先週の土曜日、JIA住宅部会主催の見学会がありました。

住宅賞に輝いた、アカシア賞の《ニセコ本通りA団地》
ハルニレ賞の《アグ・デ・パンケ農園の住宅》と
惜しくも次点に甘んじた、アルクムの《蘭越・I-House》の
3点の作品を見るために、40人を越す見学者が集まりました。

最初のニセコの公住は、ニセコ綺羅街道の延長に位置付けられ、
木の外装を効果的に使い、のびやかな外構計画とあいまって、
まぶしいくらい、お洒落な集合住宅に仕上がっていました。
みんなで、『老後はニセコだね』というと、設計担当の井端さんが、
『希望者が多くて、僕でも入れないよ』 一同、『納得』
それにしても、こんな集合住宅がたくさん出来れば、いいですね。




次に向かったのが、Iさんの家ですが、3月の見学会は30人。
今回は10人以上も多いので、カーポートで説明を済ませてから、
恐る恐る入場しましたが、何の混乱も無く、歩き廻ったり、
立ち止まったり、座り込んだり、それぞれ自由に行動できました。
そういえば、《夏至の日コンサート》(HP.先週のハイライト2004.7月5日参照)では、
この他に、子供が30人位熱狂したことを思い出しました。
《恐るべき包容力》に今更ながら感心しました。
そして、毎回、家族ぐるみで歓迎してくれるIさん一家に、感謝!




最後が、町内の(とはいえ、車で10分?!)《アグ・デ・・・・・》。
この住宅も、40人を吸収してしまう、不思議な家です。
若い人達は、草屋根に登り、気持ち良さそうでした。
良い住まいは、ひとに、いろいろな行動を触発するようです。
それとも、建築家の集団が特別なのでしょうか?
だって、断わりもなしに、よその家の屋根に登るものでしょうか?


まあ、堅いことは抜きにして、とても充実した見学会でした。