2005.10月の先週のハイライト

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05.10.10.

とうとう、10月になってしまいました。
今年も、残すところ、あと3ヶ月ですが、12月になると、慌しくなるので、
実際は、2ヶ月と思った方が、実感に近いと思います。
さて、先週の火曜日に、はじめての《女子大デビュー》をしました。
北星短大の生活創造科の講義をしてきました。
『北星短大は女子大じゃあ、ありませんよ』と、奥さんに言われましたが、
100人の学生の中で、男子学生が一人しかいないので、私にとっては、女子大です。
90分の授業でしたが、スライドを100枚くらい使い、学生の頃から、北海道に来た、
30年の設計活動の中で、いろんなところに行き、いろんな人と出会い、
いろんなものを見て、その時々に感じたことを、住宅の設計に沿いながら話しました。

『設計が、頭の中だけではないんだよ』と言いたかっただけなのですが、伝わったかな?
学生のときに考えたり、やったりした事を、今でも悪戦苦闘している事に気付いたことが、
自分にとって、新鮮でした。     成長していないともいえますが・・・・・(笑)。


土曜日には、雨竜経由で東神楽に、現場の状況を見に行きました。
来週の建て方の前に、土台敷が終わっています。
基礎の精度はまずまずで、これで安心して、骨組みを建てることが出来ます。
今回現場に行った、最大の目的は、以前からある納屋を、残すかどうかを、
再確認することでした。

この土地の最大の魅力は、奥にある《トトロ山》にあることは、間違いありません。
でも、その山の前に、この納屋があることも、脳裏から離れない風景だと思います。
それだからこそ、昨年の7月、昔の母屋を解体するときに、敢えて残しました。
けれども、建物を残すということは、《壊さない》というだけではなく、
《手を掛ける》ということも必要になってくるので、今回の工事のときに、
何らかの延命処置をするか、使う目的無しに延命させず、土に戻すか、話し合いました。

気持ちとしては、全員が《残したい》という気持ちと、《この建物はこの土地の一部》
なので、今、使う目的が見つからないから壊す、というのは違うのでは・・・、
という結論になり、KY組の積極的な協力で、基礎と土台の補修をすることになりました。


その後、KY組の工作所に行き、古材の切り込みの状態を見に行きました。
工作所では、丁度、切り込みが終わり、梁と束柱の仮組が始まったところでした。
山積みになっていた古材が、表面を綺麗にしてもらい、必要なホゾや小穴をあけ、
新しい役どころを与えられたとたん、まわりの古材とは打って変って、輝いています。
大工さん達の目も輝き、真剣そのものです。
何度も組み替え、計測して、棟梁が『こんなもんかな?』の一言で、儀式は終了しました。
 

 
そこにある形態(かたち)が、《自然と人工》を超越して、イサム・ノグチの世界です。
これが、もうすぐ、東神楽に建ち上がると思うと、不思議な気持ちがしてきます。
Nさんが、『実際に見ていると、逆に、なんだか、実感がなくなるような気がします』
と言った気持ちが、なんとなく、判るような気がしました。
《自分達の家》の一部なのに、誰かと何処かで、《共有する》そんな気持ちかもしれません。

ともあれ、《Nさんの家》にとっては、《歴史的な日》になったと思います。



05.10.13.

先週のハイライトは、東神楽の上棟式でしたが、
そちらの報告は、K.O.のノックアウト・コンビに任せて、
私の方は、8日(土)にあった、シンポジウムについて、報告します。


今年が、《ドイツ年》だということを、知っていましたか?
実は、私も知らなかったので、大きなことは言えないのですが、
その《ドイツ年》の企画の一環として、ミュンヘンの姉妹都市である札幌市が、
『ドイツ エコ住宅』シンポジウムを開くことになったのです。
タイトルは、『ドイツに学ぶ外断熱工法と北海道にふさわしい、これからの住宅』
という、いかにもドイツらしい、硬い内容風で、私の出る幕は無さそうだったのですが、
コーディネーターが、私の後輩で、施主でもあるF氏で、そのF氏から、
『硬くてハードになりそうだから、少し柔らかくして欲しいんだけど・・・』と言われ、
受けてしまったのですが、ドイツには2回しか行ったことが無く、それも1回は、
ウィーンから『オリエント特急』でパリに行く途中、フランクフルトで乗り継いだときに、
オーストリアのコインを両替して、本場の《フランクフルト・ソーセイジ》を食べただけ、
という頼りない経験しかないことに気が付いたのです。

 
まあ、人生56年もやっていると、この程度の試練は、何度も経験しているはずですが、
『断ればよかった!』と思うのは、いつも、受けてしまった、後の祭りです。

出来ることは限られているので、いつものとおり、フラノの『ゲストハウス』と
今年できた『森の舎』のスライドを見てもらいながら《風景と建築》の話をしてから、
『蘭越のIさんの家』のスライドで、《住む場所を選ぶ》ことの大事さを話しました。
←フラノゲストハウス

←フラノ森の舎

←蘭越 I さんの家

ディスカッションでは、風景の美しさは褒めてもらえましたが、
『北海道に住んでいるからといって、
みんながそんなにいい環境に住めるわけでは無いのでは?』
というのが、大部分の方の印象だったと思いますが、私としては、
『田園・都会にかかわらず、北海道の原風景が、ここにあって、その原風景を、
どうやって、住環境に取り込むかが、設計の原点では?』という思いがあります。

もう一人のパネリストのノワックさん(デュッセルドルフ出身)の
『《その土地に、ずぅっと住まう》という意識が、とても大切だと思います』という発言が、
戦後の日本の教育の《偏り》を、端的に言い当てているような気がします。

それは、こと《住宅》に留まらず、《人間関係》や《生活様式》にも影響しています。

でも、蘭越のIさんもそうですが、最近の傾向として、家の形や間取の話の前に、
《どこに、どうやって住むか?》というところから、話が始まることが増えてきました。

この傾向が、ノワックさんの言っている《ずぅっと住まう》という意識に繋がればいいな、
と、思っています。

★東神楽の上棟式(10月10日)
←池に映るN邸

この日は、東神楽のNさんの上棟式が行われました。晴天に恵まれ絶好の上棟式&体育の日日和でした。上棟式の前に電気配線等の打合せ等をし、KY組の大工さんが着々と準備をし、PM4:30上棟式が始まりました。神主さんの神様を呼ぶ声、神様に報告、一人一人が神様に礼をし、神様を送り出す。僕は、参加するのは2度目ですが、何度やっても神聖な空気がそこに流れます。30分位の時間でしたが、素晴らしい時間でした。Nさん、Nさんの親族の方、関係者、建ちあがった骨組み、古材、みんな幸せそうでした。その後みんなお菓子をツマミながら、話しをし、和気藹々でとても幸せそうでした。

まだまだこれからも大変ですが、一段落です。これからもみんなで力を合わせて、無事故でがんばって行きましょう。みなさんお疲れ様でした。(桶谷)
←みんなで乾杯!と古材の柱

10月10日の体育の日に東神楽のN邸の上棟式にアルクム全員で参加してきました。
上棟式とは、辞書によると、「家屋建造の際、棟木を上げるにあたり、大工の棟梁(とうりよう)などが神を祭り、新屋の安全を祈る儀式。」とあり、工事の工程上の節目としての催しのようですが、それ以上に、その家に関る人々みんなが顔を合わせ、それぞれの気持ちの交流になる大切な場でもあると思います。
住人となる人は、仕事中以外のいろいろな話や、笑顔などを見て
「どんな人たちが家づくりをしているのか」とか、
大工さん側も「どんな人がこの家に住むのか」というのが少しでも分かってきて、金槌をもちながらも住人の顔が浮かんでくるかも知れません。
このようにして、'ありがとうの気持ち'と'がんばる 気持ち'が高まって、つくり手と住み手がお互いに理解しあえるようになり、満足しあえる良い家ができてゆくのだと考えた上棟式でした。(河村)


05.10.24.

◆山形へ(by河村)
第二の故郷山形へ懐かしの旅に行ってきました。
学生時代の4年間を山形市で過ごしていましたが、卒業してからもう七年の月日が経っていることに、友人に会ってから気がつきました。
「いやぁ〜、ヒーさしぶりだっきゃぁ〜」
友人は、地元人で会ったとき何を言っているのか良くわりませんでしたが、次第にチャンネルが合って、その「韻とネイション」に懐かしさと嬉しさがこみ上げて、僕も時々使ってしまいました。

初日は、学生時代よく夜中にタダで入っていた露天風呂のある蔵王温泉に行ってきました。
紅葉にはまだちょっと早いのと、あいにくの雨で蔵王山頂まで望むことはできませんでしたが、秋雨の温泉街と蔵王独特のキツイ硫黄の匂い、さらに旅館の芋煮(里芋・蒟蒻(こんにやく)・葱・牛肉を鍋で煮たもの。甘醤油味)で季節感が満喫できました。
http://www.zao-spa.or.jp/
←蔵王温泉観光協会HP
←山形の名物「芋煮」

翌日は、僕の母校のキャンパスを見に行きました。当時は僕が第4期生でまだ出来て4年目の学校だったのですが、今では、敷地内に建物も増えて、施設が充実していました。学校周辺の敷地もホタルが生息する水田だらけだったのに、今では、アパートや戸建住宅が次々と建ち並び、のんびりした田舎の雰囲気が変化して、記憶の中の母校のイメージと違い、時間の経過の速さを感じちょっぴり寂しくなりました。

↑本館正面の池に鬼瓦のある屋根が、、、。いろんな発表をする舞台だそうです。

↑大学の裏の悠創の丘から。下に見える街は山形市内。快晴だと月山まで見えます。

その後、上山市の原口そばや(田舎そば)に行きました。築170年の茅葺き屋根の建物だったのですが、行ってみると、鉄板屋根に変っていました。山形のそばは、僕の私的な意見ですが、特にタレがおいしいのです。醤油色は濃いのですが、意外と辛くなく、‘かえし’のあまさが非常に美味しいタレなのです。
←原口そばやの店内古民家です。
←上ソバガキ、右上ナスの漬物です。ソバガキは納豆の醤油タレで食べます(美味)

今回の旅のもう一つの目的です。山形で建築を学んでいながら見ていないのは恥ずかしいという、酒田市の土門拳記念館に行きました。市内の飯森山公園内にあるこの建物は、谷口吉生による設計で1983年竣工。9月の先週のハイライトでも紹介した豊田市美術館、最近では、ニューヨーク近代美術館の設計者です。豊田市美術館では、非常にシャープで鋭い建築と卓越したセンスに心を打たれました。で、今回は実物を見に行った訳です。
酒田出身の写真家土門拳の記念館で、背後の飯盛山と人口池の間に硬く鋭い建築がスケール感良く配置され、自然との対比が意識されています。内部は、写真展示空間から資料展示室へと向かうイサム・ノグチの彫刻が配置された中庭に面したアプローチが、光が満ちてゆく感じで印象的でした。
←最上川沿いに車で行きました。写真は芭蕉も乗った最上川川下り
←外観、後が飯森山
←資料展示室へのアプローチ
←中庭
←展示室2と休憩場所

今回の山形旅行は、思い出に浸りながらノンビリ旅をするつもりだったのですが、いざ旅行し始めると、欲が出てあれもこれも見て廻ってしまい忙しくアッという間にタイムアップでした。ノンビリ旅ができるのは、もっと齢をとってからなのか?老後が楽しみです。

※おまけ(今回行った他の場所)
 
↑酒田市山居倉庫
 
←木造4階建て!
↑尾花沢市銀山温泉
 
←2F浴室
↑銀山温泉公衆浴場:設計隈研吾


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