2010.2月の先週のハイライト
2010.02.24
2月21日(日)に、『建築家・上遠野 徹を偲ぶ会』が開かれました。
上遠野先生は、昨年の11月9日に亡くなられ葬儀は終わっていましたが、
改めて、ゆかりのある方に集まって頂き、先生の生涯を偲ぶ会を
日本建築家協会北海道支部が主催したのです。
全道はもとより全国からも駆けつけ、300人を超す方々に集まって
頂きました。それも、建築の関係者だけでなく、音楽・彫刻・文学に
たずさわる方も多く、北海道の《建築・芸術・文化》に対する先生の
存在の大きさを、改めて、噛締めました。建築だけでなく、全ての
価値観が経済と情報に収束する時代が続く限り、先生のように
純粋・無垢な建築家は出ることはない様に思います。
私のデスクの前には、一昨年の11月に、『上遠野 徹・建築作品展』
のオープニングに撮影した集合写真が置いてあります。奥様と並んだ
先生の笑顔は、とても素敵だったので、置いてあったのです。
その下には跡取りの克さんから送られた、先生が亡くなる前日に
スケッチしたコピーをピンナップしました。それを見ていると、
先生に見守られ、励まされているような気がするのです。 《合掌》
▽『建築家・上遠野 徹を偲ぶ会』にて
△『上遠野 徹・建築作品展』集合写真(上)と上遠野先生のスケッチコピー(下)
2010.02.13
1月が終わり、2月になったと思ったら、アッという間に雪まつりが終了して、
週末はもう、バレンタイン! 冬季オリンピックのドサクサに紛れてるうちに、
3月に突入してしまいそうです。それでなくとも28日しかない『逃げる2月』の
本領発揮という感じです。気を引き締めないと春が遠のいてしまいそうです。
それでも今年は、アルクムには珍しく、冬の現場が2つもあります
(中頓別は1月で終了しましたが)。
もう1つの《札幌逍遥館》は、プロジェクトで紹介しているように、コンクリート
工事の真っ最中です。6M道路の中央まで張り出した電線に阻まれ、
クレーンが使えず、資材の搬入が難航しています。が、そこはアジアの
建設会社。『昔取った杵柄』と、人海戦術を駆使して、ナントカ、4階まで
たどり着きました。4階の床に立つと、当たり前といえば当たり前ですが、
周囲の3階建ての木賃アパートの頭越しに、360度のパノラマが広がって
見えるのです。プリンスタワーの上半身(?)が姿を見せたのは想定内でしたが、
南に藻岩山が見えたのには、正直、感動しました。この景色を見たとたん
『日影図』や『住民説明会』などの苦労は、一気に吹っ飛んでしまいました。
そういえば、20年前に西野の住宅街に自分の家を建てたときに、3階の窓から、
周囲の2階建の屋根越しに、石狩湾から手稲山の360度のパノラマを見た時も、
『日影図』を描いて3階建てにしてよかったと思ったのを思い出しました。
それにしても、雪と寒さにめげずに、黙々と作業している職人さん方には、
頭の下がる思いです。私たちに出来ることといえば、みんなに愛される建物を
つくることで報いる以外ありませんが・・・。
外壁もナントカ決まり、それに合わせて手摺や屋根の設計を進めています。
並行して、内部の仕上やキッチン・階段などの打合せ用の図面も描き始めました。
いよいよ、バックストレッチから第3コーナーに向かい、第4コーナーが見えれば、
あとは、春のゴールに向かって、まっしぐらにダッシュです。
▲鉄筋をトラックからクレーンで一度下ろす ▲足場に取り付けた電動ウィンチでンで鉄筋を引き上げる
▲電線をかわしながら慎重に鉄筋を引き上げる ▲4階床より電動ウィンチを操作する
▲引き上げた鉄筋を4階床に下ろす ▲鉄筋をそれぞれの使用箇所に運ぶ
▲3階から4階へ上がる共用階段の配筋 ▲4階床からのプリンスタワーの眺め
▲4階床配筋作業風景 ▲3階壁・4階床のコンクリート打設に備え上屋を組んでいる
▲4階共用階段のジグザグ踊り場 ▲4階共用階段の踊り場
▲4階屋上より南側の藻岩山の風景 ▲4階共用階段のジグザグより西側の藻岩山の風景