2010.3月の先週のハイライト
2010.03.03
2月26日(金)に、北大の小林先生の退官記念講義
が北大で催されました。
『都市へ−臨床都市計画学への道程−』と題した
講義は、小林さん(先生と呼んだことがないので、
失礼!!)が建築と出会い、研究の対象として都市を
選び、その研究を実践に結びつけるまでの45年間
を、旅になぞらえながら回想する内容でした。
私と小林さんとの出会いは、大学院受験の要領を
教えてもらうために、当時、太田實研究室の助手
だった小林さんを訪ねた37年前の12月でした。
その後大学院1年生の時に、小樽の住宅を設計
するために仕事場が必要になり、そのアトリエの
共同維持者として、小林さんも参加して以来の
お付き合いになりますが、私が5年後に独立して
アトリエを離れたあたりから、小林さんも都市の研究
に専念し始めたようなので、その後の都市研究者
としての実績は、余り知りませんでした。今回の
《最初で最後の?》聴講で、教育者・都市計画者
としての小林さんの実績を知り、驚愕しました。
博士号授与者20人、修士・学士授与者200人の
人材を送り出し、又、道内は勿論、南米諸国の
都市計画を実践に結びつけ、成果を挙げている
のです。それに加えて、国公立大学の民営化の
ための北大キャンパスの再構築計画を指導的
立場で牽引・実現に導き、その時のコンセプトの
《サスティナブル・キャンパス》が、その後の全国の
国公立大学の指針に採用されたそうです。
その功績を裏付けるように、会場は500人を超す
老若男女の聴衆で溢れていました。
これからは『小林さん』などと気安く呼べないような
気もしましたが、改めて『小林先生!』では、お互い
に気まずくなりそうなので、これからも『小林さん』と
呼ぶことにします。
講演の後、場所をパークホテルに移して、
《小林夫妻を囲む会》が開かれました。こちらも、
300人を超す参加者で、大賑わいでした。久しぶりに
会う人も何人かいて、さながら同窓会の雰囲気で
盛り上がりました。
建築家には、定年はありませんが、先々週お別れした
上遠野先生のように《凛として潔い一生》や、先週の
小林さんのように《功成り名を遂げた人生》に触れ、
ターニングポイントを自ら作る必要性を感じた2週間でした。
△『上遠野 徹・建築作品展』集合写真(上)と上遠野先生のスケッチコピー(下)
2010.03.30
久しぶりのハイライトです。先週は《地鎮祭》と
《上棟式》があり、お目出度い週でした。
まず、22日(月)の『春分の日』の代休日に
南郷の2世帯住宅の地鎮祭が行われました。
前日までの台風並みの天候に冷や冷やしましたが、
月寒神社の宮司さんの詔が始まると、日の光が
差し始め、無事、地鎮祭の儀を修了することが
できました。口には出せませんでしたが、参加者
全員が胸を撫で下ろしました。この3連休の3日間
とも建築吉日で、どの日にしようか迷った挙句、
母上の『この日が友引だから…』に一言で22日に
決まったのです。そのおかげで、晴れやかな
気持ちで工事を開始出来そうです。
そして28日(日)には、『逍遥館』の上棟式が
ありました。上棟式というよりも、入居希望者の
内覧会と応援団の方々のお披露目を兼ねて、
《餅撒き》をしようというのが趣旨でした。こちらも
天候に気を揉まされましたが、内覧会と
簡略上棟式(?)の間は落ち着いた天気でしたが、
4階の屋上で開催した《餅撒き》の時には、
『春の嵐』どころか『真冬の猛吹雪』状態でした。
それでも応援団の面々は、めげずに撒かれた
餅に飛びつき、歓喜のうちに《餅撒きの儀》は、
滞りなく修了いたしました。
今回は、どちらも天候を気にしながらの儀式に
なりましたが、日本では古来から《負けるが勝ち》
《氏より育ち》など、『発想の逆転』の言葉で良くない
状況を一転して『目出度し、目出度し』にする決まり
文句があり、その場を凌げるようになっていて、
お目出度い日に雨が降ると《雨降って地固まる》と
いえば、みんなの心が晴れやかになるのですが、
さすがに、吹雪の時の『名句』は見当りません。
北海道には是非とも必要だと思うので、みんなの
知恵を絞って創り出したいものです。
なにはともあれ、目出度い《先週のハイライト》でした。