2011.4月の先週のハイライト
2011.04.06 東日本大震災の被害の大きさは、日に日に、空前絶後の様相を 呈していますが、原発は、私たちの想像力を更に超えた状況に 向かって進んでいるようです。 建築もそうですが、計画は全て、将来に対しての提案な訳ですが、 その将来が、私たちの想像を超えてしまっている現在の状況で、 何を拠りどころに提案が出来るのか?という疑問を抱きながら 計画を継続しているのが実情です。 先週の27日(日)に、西野M邸の完成引渡をしました。 キッチンのステンレスカウンターが、製作した埼玉からの輸送中に 地震の影響で届かないという事態に直面しました。第一報は 『11日に出荷し、地震の災害を避けるために日本海側に向かった』 という情報でした。次に『トラックは新潟で立往生しているが商品は 無事なので、時間の問題です』という報告にホッとしました。ところが、 週が明けても新しい情報が全く入らず『流通はカナリ復旧している』 という別の情報が逆に不安要素に繋がりました。もちろん、Mさんには 状況は伝えてはありましたが、26日に引越すことになっていました。 建設会社と緊急対応の準備の打合せはしていましたが、気が気では ありませんでした。10日遅れの23日(水)に到着したので、ステンレス カウンターの取り付け後、待たせてあったタイル貼や器具の取り付け 工事を残り2日間で完成させ、ギリギリの30日に、ナントカ引越しに 間に合わせることができました。 引渡の時に、建設会社から『途中、伝票を確認したら違っている という連絡があり、諦めて代用の流しを用意してあったんです』という 報告があり、一同、改めて冷汗をかきました。 今年の工事は、このような事態の連続になるのかもしれませんが、 設計者・施行者・発注者の信頼関係を、今まで以上に強化する 必要がありそうです。3者の共通の目標である《良い建築を創る》 という原点の再確認が必要ですね! ▲震災の大混乱をかいくぐりやって来たステンレスカウンター。自慢のキッチンが見事完成しました! |
2011.04.14 4月は移動の月です。我家も今年は大移動の年になりました。 まず、釧路の長男が転勤で札幌に戻ってきます。4月から札幌 勤務の予定でしたが、3月末に出産予定(勿論嫁さんが、ですが・・・) だったので、5月に延期して貰ったようです。 結局、大震災の1週間後の3月19日に無事、次男坊が誕生しました。 名前は陽行(ハルユキ)と決まりました。まだ会ってはいませんが、 写真では、長男の泰行よりスッキリした顔立ちに見えます(爺バカですかネ!?)。 5月1日に会える日が、今から楽しみです! ▲陽行君と、お兄ちゃんになった泰行君 ▲こちらは泰行君の赤ちゃん時代! 次に、次女が千葉の大学に入学しました。3月24日に上京し、 いろいろ準備をする予定でしたが、余震が残っているようなので、 入学式の前日の4月3日に引越しました。蒲団だけは、当日の 夕方に受け取ることができましたが、冷蔵庫も洗濯機もなく、 ガスも使えないアパートで一夜を過ごしたようです。東京で就職 した次男坊と共謀して犬を飼う為に、社員寮を引き払って一緒に 住むことになっていますが、まだ2週間は単身生活を強いられて います。4年間限定で新世界との遭遇を楽しんでください!! 38年前に札幌に来た時のことを、昨日のことのように懐かしく 思い出しました。 残る長女は、4年間のNY生活に区切りをつける為に、フィルム 製作に挑戦しているようです。キャストやカメラマンの日程調整が 付かず撮影延期になって空いた2週間を利用して南米を旅行して からNYに戻り、日本の大震災のニュースを知りました。 『今すぐにでも被災地に行きたい!』とNYで叫んでいましたが、 結局フィルムを完成してから、7月1日に帰国することになっています。 4年間、色々ありましたが、御苦労さんでした。楽しかったかい??? ! ! ! そして変わらないのは、年老いた夫婦(奥さんごめんなさい!)と、 愛犬・菊次丸の生活です。ユックリとした時間の中に漂っている ような生活ですが、気が付くと、アッという間に時が過ぎ去って いることに驚愕しています(カナリ大袈裟ですが、実感です)。 これからは子供の成長に合わせた《激動の生活》を卒業し、 二人と一匹の《不変の生活》の中に喜びを見つける、 新たな感性を磨く必要がありそうです。 まずは、自分も含めた新たな旅立ちに、乾杯!!!!! |